いきなり着火
BPDの患者ではよくある事なのだろうけど、私も兎に角感情の変動が凄まじいです。
笑顔からの泣き顔…ならまだ可愛いのかも知れないけど。
私の場合は、些細な出来事でいきなり激怒します。
私は兎に角怒りのコントロールが難しい人間です。
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今日(昨日?)も夫との些細な出来事から、暴れたくなるくらい、夫を殴りたくなるくらいの怒りが爆発しました。
自分の中の怒りが急速に膨れ上がって、でも自分では抑えきれないし抑えようとも思えなくて、兎に角ジッと固まりました。
夫が声を掛けてきても無反応。
それで異常に怒っている事が伝わって欲しかったし、物に当たったりせず穏やかに怒りをやり過ごしたかった。
結局は、夫の行動の何が嫌だったか泣きながら怒鳴りながら伝えてしまいました。
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夫が一番願っている事だろうけど、私は今日という1日を平凡に終えたかった。
普通に仕事をして。保育園の迎えに行って。家事をして。息子の寝かしつけまでして、可愛い寝顔を見ながら眠りにつきたかった。
私自身がそんな1日をたった1つの出来事をきっかけにぶち壊した。
またやってしまった、という悔しさ。
でも、夫の行動がどうしても嫌な事だったという怒り。
今日は穏やかに終えられると思っていたらどん底に堕ちてしまった絶望感。
消えてなくなりたい気持ち。
普通の1日をしたいのに出来ない自分への失望。
ぐちゃぐちゃです。
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ただ、興奮して夫を責めてしまったけれど。
今回改めて思った事は。
私は私の気持ちや話している事を一言一句違えず理解して欲しいという欲求が強過ぎる
私が話している時にテレビや携帯に夢中で、話を聞き流される事が心の底から許せない、憎い
ということです。
私の話を聞いて欲しいという欲求がとても強い事はもう気付き始めているけれど、本当に強い。強過ぎる。
理解してもらえなかった時の激しい怒り、憎しみ。
母親がいつも、テレビを見ていて私の話は“聞き流している”人間でした。
「聞いてる?」と聞けば、「聞いてるよ。○○なんでしょ?」とつまらなさそうにまとめられ。時には怒られ。
それが兎に角兎に角大嫌いで納得出来ませんでした。
聞く(もしくは、聴く)と聞き流すって全然違うものなのに。
貴方達のしている事は聞き流す、だよ。
いつもつまらなそうに聞き流されるのは悲しい、嫌、許せない、怒りたい。どうしてなの?
せめてくだらない話ならば。
でも違う。大切な話でも変わらない。
話しかけるタイミングや色々工夫しても私にはどうにもならない。
そういう運命なのかと思えるくらい絶望する。
だから、私は家族にテレビを見ながら話を聞かれるのが心底許せません。
ましてや「聞いてる!」なんて言われたくありません。
聞き流してるだけのくせに。
でも。
私に怒りの原因がある事は分かっています。
私の独特な個性のせいだから。
だから、どうにか穏便に過ごせる時間を増やす為に激怒しながらもあれこれ考えています。
夫に泣きながら興奮してただの怒りをぶつけた形になってしまったけれど。
そうじゃなくて、話を聞き流される事がどうしても許せない事、コントロールしきれない事を改めて伝えます。
私の中の問題に付き合わせてしまう事の申し訳なさでいつもいっぱいです。
私の問題のくせに、どうして大切な人の努力がなくてはダメなのかと自分という人間に落ち込みます。
でも、大切な人に協力してもらえるようお願いする事も大切な筈。
何より、興奮するだけではダメ。
自分が怒りのメーターが振り切れてしまった理由を伝えなきゃいけないです。
私自身がどうしてそんなに怒っているのか分からないとしても、それはそれで「どうしてか分からないけれど激怒してる」と伝えなきゃ。
まずは自分の感情を伝えなきゃ。
初めまして
初めまして୨୧˙˳⋆
精神科に通院しながら、夫の強力な支えのもと仕事と子育てをしている30代主婦です。
精神科の治療は一度寛解したけれど、産後の夫家族の孫フィーバーに耐えられず治療を再開しています。
20歳から一番華やかな時代であったろう時を真っ暗なトンネルの中を彷徨ったような過ごし方をしていました。
現在は一言でいえば幸せです。
でも、感情の振れ幅が大きくて地獄のような1日もちょこちょこ存在するのは確かです。
そんな日も引っくるめて幸せ。
通院を再開してから、自分の病状=独特な思考回路、個性に改めて気付く事が沢山あります。
一緒に生活してる夫にも伝えたり、私自身も忘れないようにしたり。
この個性と上手く付き合っていく為に、世の中の人が(例えば夫が)どんな風に物事を捉えて流しているのか知る為に、理解する為に、自分にも同じようにできるか模索する為に、私はよく文章に書き起こします。
それは殆ど主治医に渡してしまうので、手元に残したいと思いました。
そこで気軽に書き残せるブログにしてみる事にしました。
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私の診断名は境界性パーソナリティ障害です。今も変わっていなければ。
数年前に聞いた時のものなので、もしかしたら変わっているのかも。
でも、治療を通して診断名に拘る事は(少なくとも私にとっては)良い事ではないので気にしないようにしています。
「貴方は病気ではない。健康な領域にいる事が多いけど、病的な領域に入る事がある。そういう時に治療したり周りに助けてもらえばいい」という主治医の言葉を信じ、自分の個性であるパーソナリティの問題をうまく対応していけるようになりたいと思っています。
ショコラ*